こんにちは、なっちゃんです!
更新が少し遅くなってしまいましたが、11月中旬に訪れた、小野小町ゆかりの寺、随心院について紹介していきたいと思います。
小野小町ゆかりの寺、随心院
随心院は、真言宗善通寺派の大本山。991年に創建され、古くは「牛皮山曼荼羅寺」と称されていました。
開基した、弘法大師の8代目の弟子にあたる仁海(にんがい)僧正が、ある晩、亡き母が牛に生まれ変わっていることを夢に見て、その牛を鳥羽の辺りに尋ね、飼養していましたが、日なくして死んでしまい、悲しんだ仁海僧正がその牛の皮に両界曼荼羅の尊像を描き、ご本尊としたことに因んでいるそうです。[パンフレットより]
京都府京都市山科区小野は、古来、小野一族が栄えた場所であり、その中でも「随心院」は、平安時代の絶世の美女として後世に語り継がれている、あの、小野小町が宮仕えを引退したのち、晩年を過ごした場所と言われています。
また、「謡曲「通小町」の前段、即ち深草少将が小町の許に百夜通ったという伝説の舞台がここ随心院である」と、写真左手側の看板にあるように、随心院は、能の演目としても知られている、「通小町」の舞台となった場所とされています。
駐車場からは、細い小道を
駐車場からは、拝観入り口の矢印に沿って、細い小道を進みます。
何度か曲がって進んでいくと、進行方向左側が、砂利道で開けたスペースになっています。そこに、庭園と殿舎への入り口が見えてきます。
門をくぐって少し進むと、大きな入り口が見えてきます。
庫裡という建物です。
入り口向かって右側には、先ほど紹介した、「小野小町歌碑」があります。
百人一首でもよく知られている、小野小町の歌、「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」が書かれています。
桜の花の色は、むなしく衰え色あせてしまった、春の長雨が降っている間に。わたしの美しさも、その花のように、こんなにも色あせてしまった。と現代語訳されています。
さて、この入り口を入ったところから、拝観料が必要になります。
【拝観料】
・大人 500円
・中学生 300円
・団体(20名以上) 450円
・身障者 400円
拝観受付で、拝観料の支払いをして、殿舎内を見学できます。御朱印も同じ場所でいただけるので、拝観前に預けておくのがおすすめです。
拝観受付横には、小さいですが、お守りやポストカード、お菓子が売っているコーナーもあるので、お帰りの際のはぜひ見てみてくださいね!
いざ、拝観!
拝観受付からすぐの場所にある大きな衝立は、ライトペインティングアートの世界的な先駆者である、ジミー西村さんの作品です。
その裏側は、梅が有名な随心院を描いたものが飾られています。
表側の絵にも見とれてしまいますが、裏側もしっかり見てくださいね!
能の間の襖絵「極彩色梅匂小町絵図」
随心院に訪れる理由の一つとして、近年話題になっているのが、この「極彩色梅匂小町絵図(ごくさいしきうめいろこまちえず)」です。
この襖絵は、京都のグラフィックデザイナーとイラストレーターの絵描きユニットである、だるま商店さんによって、2009年に奉納されたものです。
はねず色という、鮮やかな朱色に近いオレンジがかった薄い赤色を基調とした作品です。
小野小町の生涯を描いたとされるこの作品は、左から、「生誕の図(出羽の国で生まれ、生活される様子)」「饗宴の図(仁明天皇のもとで宮仕えをされる様子)」「伝承の図(宮仕えを辞して山科小野の里でお過ごしになられる様子)」「夢幻の図(山科小野を出て諸国を放浪される様子)」という4つの構成になっているそうです。
他の襖絵は撮影禁止となっていますが、極彩色梅匂小町絵図のみ撮影可です。
太陽が差し込む庭園
本堂の廊下から見える庭園は、11月中旬でほのかに紅葉していて、その日は汗ばむほどにいい天気だったので、陽の光が差し込んで、とても綺麗でした。
秋は夜間特別拝観と、ライトアップもされるようです。
さいごに
平日は比較的混雑しないということで、ゆっくりと静かな時間を過ごすことができました。
絶世の美女として世に語り継がれてきた小野小町、晩年はとことん落ちぶれてしまい、物乞いであり、亡霊であったという伝説も残されています。
そんな小野小町が余生を過ごした場所であり、深草少将の百夜通の舞台ともなった場所でもある随心院。
いろいろと考えてしまうと、この静けさが不気味に感じてしまいますが、秋には紅葉、春には梅、桜、初夏には杉苔がみられます。とても風情があり、静かできれいな場所でした。
次回は春に、小町梅園を見に来たいなあと思いました。
随心院へのアクセス
随心院へのアクセスは、地下鉄東西線の小野駅から徒歩5分です。また、駐車場も比較的広くとられているので、どちらもアクセスはしやすいと思います。
〒607-8257
京都府京都市山科区小野御霊町35
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